篠田桃紅さん(107歳)の作品を初めて見た時、あまりの迫力に思わず引き下がった。
107歳の作品とは思えない!
モダンで若い決断を感じた。
そのエネルギーどこから生まれるのですか?
なぜ描き続けるのですか?
現役書道家「老いても益々盛んな」篠田桃紅の世界をご紹介します。
もくじ
書家「篠田桃紅」の生きる力
もっと観たい!もっと知りたい!
100歳を越えても未だ衰えない創作力は、一体、どのように培われ、維持されているのでしょうか。
1913年3月28日(107歳)
書道家
43歳 米国で展覧会を開く渡米する。
大正2年に旧家に生まれ、6歳から厳格な父による書の猛特訓が始まったそうです。
23歳で書道家として身を立てていくことを決意。
以降80年以上、ひたすら墨に向き合う日々が続いています。
一言で80年と言っても、その間には戦争があり、戦後の激動を生き抜いてきています。
今までに、どれだけの葛藤を乗り越えてこられたのでしょうか。
NHK番組「墨に導かれ、墨に惑わされ」
インタビューの中で、桃紅さんは、
自分の作品は非現実で地に足が付いていない浮遊物のようなもの、儚いものと
と語っていますが、その理由として、父の遺言でもあった『結婚』をしなかったことへの苦悶を吐露しています。
家族を持たなかった理由は語られていませんが、芸術性を追求するためには、独り自分と向き合うことが重要だったのかもしれません。
篠田桃紅の「心のかたち」
誰にも頼らず生きてきた独身力・芯の強さ
自分自身に厳しくて絶対妥協をしない!
余分なものを極限まで削ぎ落として新たな形に昇華し、一瞬の「心のかたち」を追求し続けているのは、
全て、作品に現れてしまうからだと言う。
桃紅著「死ねないのも困るのよ」
「第一章 歳と折れ合って生きる」
「第二章 幸福な一生になりえる」
「第三章 やれるだけのことはやる」
「第四章 心の持ちかたを見直す」
「楽観的に生きる」「若き日も暮れる日も、それなりにいい」「人間ってこういうもの」「そよ風に吹かれるだけで、なんて恵まれているのだろうと感じることのできる幸せ」「いい思い出になるように工夫する。そうすれば、人生の終わりまでも豊かにしてくれる」「生と死をあきらめれば、不平はなくなり、平和な心を得る」・・・
篠田桃紅
「満開だけが花、満月だけが月ではない」
「頼る人にならない。頼られる人にもならない」
「影響を受けて、ただ真似るのは横着な人生。自分はどう考えるのか、手探りで求める」
篠田さんの作家人生から生まれた言葉の数々ですね。
人生を真剣に追求した人だけが理解できる言葉でしょうね。
「人は生きる術を見つけ出す力をもっている。自分を肯定して、幸せを得る」
と述べていますが、最近の私は、時代についていけてないと感じ自信をなくしてしまうことが少なくありません。
ITやAIなど、分からないことも多くなってきたので尚更です。
60歳を過ぎ、どうやって自分を肯定すればよいのでしょう。この年齢にして、改めて、生きる術を見出していきたいと強く思いました。
篠田桃紅は、100歳まで生きるということは想定外だったと言う。
100歳まで生きた精神力が伝わってきます。
また、100歳を越えた今も、「新しい自分を見つけたい」と考えていらっしゃいますが、日々、変化する自分を、こんなにも厳しく鋭く見つめることを、果たしてどれだけの人が出来るのでしょうか。
桃紅さんにとっては、その時、その瞬間が勝負の時であり、常に、自己と対峙しているのでしょう。
新しい自分を発見する上では、老いや病も自然な変化であり、受容することは当たり前のことなのかもしれません。
それに対して、私は過去にとらわれ、若さや外見を取り繕うことばかり考えています。
まとめ
過去など忘れなさい。未来が好きと言う。
孤独について
桃紅さんが作品を制作する様子を見た人はいないということです。この方ほど、長きに渡り『孤独』に身を置いた人はいらっしゃらないのではないでしょうか。そんな桃紅さんが、「人間、独りで生まれて独りで死ぬ、だから『孤独』は当たり前のこと。皆、『孤独』を避けようとしている」と語っています。
独り介護をしていると、ふと孤独感に苛まれる瞬間があります。孤独はつらいです。避けられるものなら避けたいです。「どうして自分が・・・」と被害的にもなります。今まで、『孤独』は事故や災難のように稀なことと思ってきましたが、誰にも起こり得る当たり前のこととだと考えれば、少し被害感が和らぐような気がします。
生きる力