大変化の「新しい時代」に、戸惑ってしまうことありませんか?
悲しい!ですね。
「もう歳だからいいよ」なんて言わないで
若い頃、見ていた夢の中へ行ってみたいと思いませんか?
新しい時代を、楽しむために挑戦してみましょうよ。
88歳になるサーロ節子さんが生涯かけて取り組んだ『反核運動』をご紹介します。
ノーベル平和賞受賞 サーロー節子さんスピーチ
2017年ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞授賞式で被爆者としてスピーチを行ったサーロー節子さんに世界中が感動しましたね。
被爆体験を語る サーロ・節子
1932年1月3日(88歳)
日本 広島
13歳のとき広島で被爆した。
「正規の暗号解読助手になって最初の日である1954年8月6日広島に原子爆弾が落ちた。1.8㎞離れた同司令部で被曝、建物の下敷きになったが九死に一生を得た。
カナダに移住して核廃絶を目指す活動を始めた。
Wikipedia
「ヒロシマへの誓い サーロー節子とともに」
サーロー節子さんの半生を描いた記録映画が製作されました。この夏、NHKで放映されますよ。
8月6日の 7:30「広島原爆の日」に合わせてテレビ放送される予定です。
「長年、反核運動をしてきたが、映画を通じて一歩立ち止まり、自分がどう生きてきたか考えさせられた。深い思いを皆さんと共有したい」と話し、映画を通じて核廃絶を目指す市民の輪が広がることに期待を示しました。
サーロ節子
サーロー節子」さん「私はあきらめない。」
コロナウイルスで苦しんでいる人が沢山いるのに
「資金の使いみちはここだ。どうして兵器の近代化に何兆ドルもつぎ込むのか。資金は人の暮らしを豊かにするために使うべきだ」と述べて、核軍拡競争を批判しました。
2017年ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞授賞式で被爆者としてスピーチを行ったサーロー節子さん。その人生は早くから反核の意志に貫かれていた。戦中広島での暮らし、被爆経験、渡米して直面した「原爆が戦争を早く終わらせた」とのバッシング、国際的な反核運動との連携、若い世代へのメッセージなど、不屈の生涯の全貌を伝える。
まとめ
最後までご覧いただきありがとうございました。
今回は、広島で原爆経験をされたサーロ節子さんを紹介しました。
「核兵器をなくさないと地球の存続が危ういと生涯をかけて訴えている」
私たちにもわかりやすく話してくれるサーローさんの姿に感動しています!