COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)は日本のファッションブランドです。
世界各国に直営店をもち、現在は200を超えていて、日本を代表するファッションブランドの1つとなっています。
ブランドの
「自由と反骨精神」をブランドコンセプトとしています。
既成概念に捉われない、革新的なデザインを長年生み出しています。アバンギャルドなスタイルがとても有名となっています。
社会に流されることのない、自立した女性像をデザインに落とし込んでいます。
従来の女性らしさのない、ルーズなシルエットに黒などモノトーンな色を多用し、孤高の女性を表現しました。
Contents
コムディギャルソンのブランドの経歴
1969年創業
1973年に株式会社コムデギャルソンを設立。
1975年に東京コレクションに初参加。
表参道のフロムファーストに直営店をオープン。
1978年にメンズライン「COMME des GARÇONS HOMME」をスタート。
1981年に山本耀司とともに、パリプレタポルテコレクションでショーを行いました。
華やかなデザインが主流だった時代に、穴の開いたもの、黒を主張したファッションを発表し、お葬式の服と言われ賛否両論でした。
アバンギャルドなスタイルは、「広島シック」「黒の衝撃」と言われ批判されたが、そのスタイルは徐々に受け入れられていきました。
黒の持つ「色彩の否定と反抗」の意味が後退すると、赤を「唯一の色彩と他の色の否定」の意味で用いるようになった。
日本を代表するブランドの一つと見なされている。
1981年に「robe de chabre COMME des GARÇONS」と「trict COMME des GARÇONS」をスタートしました。
1984年に「COMME des GARÇONS HOMME PLUS」をスタート。
1987年にスーツライン「COMME des GARÇONS HOMME DEUX」、黒を中心としたライン「COMME des GARÇONS noir」をスタート。
同年、trict COMME des GARÇONSのデザイナーが渡辺淳弥に交代しました。
1988年にシャツライン「COMME des GARÇONS SHIRT」をスタート。
1989年に青山店が移転し、現在の場所に移りました。
1992年、渡辺淳弥がデザイナーを務める「JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS」がスタート。
2001年に「JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MAN」がスタート。
2002年に「PLAY COMME des GARÇONS」がスタート。
2003年、HOMMEのデザイナーに渡辺淳弥が就任しました。
コム デ ギャルソン・オム(COMME des GARCONS HOMME )は、着る人の個性を引き立てる服というのを提案している。川久保玲・渡辺淳弥ほか4人のデザインチームによりデザインを担当しています。
ロバート・デ・ニーロなどが、コム デ ギャルソンを愛用しています。
2005年に栗原たおがデザイナーを務める「TAO COMME des GARÇONS」がスタート。
2007年丸龍文人がデザイナーを務める「GANRYU(ガンリュウ)」がスタート。
2009年に、「THE BEATLES COMME des GARÇONS(ザ ビートルズ)」がスタート。
2018年に「CDG(シーディージー)」をスタート。
COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)のデザイナー
川久保玲
創業者であり、デザイナーを務めるのは川久保玲(Rei Kawakubo)。
1942年、東京生まれ。
慶応義塾大学文学部哲学科を卒業後、旭化成に入社し、繊維宣伝部でスタイリストを経験しました。
その後、フリーランスを経て、自身のブランド「COMME des GARÇONS(コム デ ギャルソン)」を設立しました。
2012年にCFDAファッションアワードを受賞しています。
渡辺淳弥

JUNYA WATANABEデザイナー。
福島県出身。
1984年にコムデギャルソンに入社しました。
1992年に自身のブランド「JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS」のデザイナー。
栗原たお

trict COMME des GARÇONSのデザイナー。
1973年生まれ。
1997年にセントマーチンズ美術大学を卒業、1998年にコムデギャルソンに入社しました。
2003年にトリコのデザイン担当に就きました。
コムディギャルソンのビジネス
コラボレーションに積極的
で、過去には「STUSSY(ステューシー)」や「Vans(ヴァンズ)」などとコラボを行っています。
今は、世界各国のセレブリティに愛用されている。